Massie's Private Room

皆さんようこそ! 僕の部屋に招いたお客様にお話しするように書き綴ってまいります。

R.I.P. Mr.Jimmy Cobb

少し時間は経ってしまったけど、Mr.Jimmy Cobb. R.I.P.

今から15年ほど前、こんな僕にも彼とツアーを回らせて頂く幸運がありました。そのことに関しては、何をおいても矢野沙織さんに感謝しなければならないですね。そして、彼との共演歴がある、多分数少ない日本人のミュージシャンとして、僕の経験をお裾分けするべきではなかろうかと思いつきました。音楽の専門的なお話なので、プレイヤーではない方にはわかりにくいかもしれませんが、興味のある方だけ、読んでくだされば幸いです。

我々、ジャズの演奏家がよく使うOn Topという言葉がありますが、説明すると日が暮れるので、そこは割愛させていただきます。そういうbeatの表現の方法があると思ってもらえればいいです。で、そのOn Topと呼ばれるビートの代表、象徴として、Jimmy Cobb氏の名前を挙げる人は多いと思います。共演する前、僕はあの感覚を体験できるというだけで、すでに舞い上がっていました。それで、実際に一緒に演奏してみると、彼のビートは僕がレコードで聴いてイメージしてきたOn Topと言われるビートとは全く違って驚いたんです。むしろ、揺るぎないビートのボトムの部分があまりに強烈で、僕なんかは完全に腰を浮かされてしまって、「寄り切り、1本!」って感じでした。ジャズを演奏し続けてきて、それまで正しいと信じてきた事が、まったく違っていたと気付かされる事が何度かありましたが、間違いなくそのうちの一つでした。その出来事も、その日、一日しか共演の機会が与えられていなかったら「こんなに違うんだ、、、どうしよう」で、終わっていたと思んですが、幸運にもそのあと2〜3日一緒に演奏させていただいたので、少しずつ彼のビートが理解できてきて、しっくりき始め、最終的には腑に落ちて、一緒に演奏してて楽しくてしょうがない、というレベルまで自分自身を持っていく事ができました。 かといって、自分一人でそれを表現できるようになったかというと、それはまた別の話ですが。 ただ、自分の中にJimmy Cobbさんのスイング感はこういう感じだったという、記憶の部屋が出来上がったことは間違いなくて、それは何にも替えがたい財産として僕の中に今もあります。

あと、強烈に印象に残っているのは、音の太さ、ウェイト感ですね。ジャズドラマーなら誰もが使うような典型的なバップドラミングのフレーズが次がら次へと出てくるんですが、とにかくめちゃめちゃ音が太くて(特にタムの音)、楽器を少ない力で鳴らし切っている感じがしました。音量が大きいというのとはまた違って、良い鳴り方をしているから物凄くよく聞こえるし、反対にうるさくなくて、音量が大きいわけではないのに、音に重量感があるから、その上に何がどういう形で乗っかっても、サウンドのバランスが崩れない。そういうイメージでしょうか。

比較的最近、ルイス・ナッシュ氏と共演させて頂いた時にも、同じようなことを感じました。その話題になると彼は「このタッチを得るのに、いったい何十年かかったと思ってるんだ。」と仰ってました。

では、最後に僕が大好きなMr.Jimmy Cobbの演奏を聴いて頂けたらと思います。

https://youtu.be/1_pJPfw3Fxk

手根管症候群の手術と6月以降のLive schedule

みなさまお元気ですか? 我々ミュージシャンのことを話しますと、真っ先に苦境に立たされている業種の一つとして挙げられますが、我々以外にも窮地に立たされていらっしゃる方々はたくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。コロナ・ショックもいつかは通り過ぎていくのでしょうが、その時、無傷で生き残れる人、企業はほとんどないんじゃないでしょうか。

僕、個人としては、4月末日に長年患ってきた「手根管症候群」と言う病気の手術をしました。4月3日、阿佐ヶ谷クラヴィーアのライブがコロナ休み前の最後の仕事でしたが、その時点で僕の左手は限界に達していました。ですから術前の26日間は手術に向けてさらに悪化しないように、一度もベースに触れませんでした。術後15日間も完全に休みました。5月16日から、そろそろ6月初旬のライブに照準を合わせて、ベースを弾こうとしましたが、痛みで全く弾けませんでした。17日も同じくやはり弾けませんでした。今日18日からは新たに自作のリハビリ器具を使ってベースを弾かずに指慣らしを始めました。弦を押さえる力は使わずに指を動かすだけのリハビリです。今日は48分間やりました。後でもう一度同じことをする予定です。

そんな訳でして、下のLive Scheduleは現在決まっているものですが、6月からジャズクラブが一斉に営業を始めたとしても、僕自身のコンディションによっては、参加できない可能性もあります。その旨はバンマスである堀君、河村君、井上さんにはお話ししてあります。僕が参加するかしないかは直前まで決まらないと思いますので、時々、お店のwebsiteで、チェックしてみてください。もちろんこちらからも、Facebook, Instagram, Twitter, 当Hatena Blogに、出演するかどうかが決まり次第情報を情報を流したいと思います。特に6/2,6/5のライブに出演できるかどうかは、今のところ自分にも全く予想がつきません。しかしながら、8月後半にはOMD+1が3本ありますが、その時には間違いなくステージに立てているように調整していきたいと思っています。

コロナ緊急事態宣言がいつ解かれるかも分からない上に、僕のコンディションのために、全く先行き不透明ですが、ジャズクラブが再び始動した時に、できれば僕も始動したいと心の底から思っていて、また反対に焦って手の状態を悪化させては何のためにリスクの高い手術に踏み切ったのか、分からなくなってしまいますので、はやる気持ちを抑えて着実に回復を目指すのが、「今僕のやるべきこと」と自分に言い聞かせています。

早くライブの現場に戻って、皆さんの前で演奏したいです。
極めて不透明なライブ・スケジュールですが、ベストを尽くして回復に取り組みますので、僕の出演が決まった折には是非見にいらしてください。よろしくお願いいたします。


6月2日(火) 茗荷谷 Galleria&Cafe U_U
堀 秀彰 piano & 増原 巖 bass→堀 秀彰 piano solo

6月5日(金) 御茶ノ水 NARU
河村英樹(ts)4《吉岡秀晃p, 増原 巖b, 濱田省吾ds》→増原 巖→安田幸司 bass
 

6月30日(火) 南青山 BODY&SOUL
井上 智(g)4《竹本和広p, 増原 巖b, 高橋慎之介ds》

7月8日(土) 江古田 そるとぴーなつ 
井上 智(g)3《増原 巖b, 横山和明ds》

7月22日(水) 六本木 All Of Me Club
しげのゆうこ(vo)4《堀 秀彰p, 増原 巖b, 高橋 徹ds》

7月30日(木) 六本木 Club t
FUKUMI(vo) with 三木成能p, 増原 巖b, 他

8月19日(火) 南青山 BODY&SOUL
井上 智(g)4《竹本和広p, 増原 巖b, 高橋慎之介ds》

⚫️8月21日(金) 南青山 BODY&SOUL
OMD+1《増原 巖b, 市原ひかりtp,vo, 石田 衛p, +1 横山和明ds》

⚫️8月28日(金) 大森海岸『ジャズ酒場 佐和
OMD+1《増原 巖b, 市原ひかりtp,vo, 石田 衛p, +1 安藤正則ds》

⚫️8月29日(土) 松戸稔台 Blue Train
OMD+1《増原 巖b, 市原ひかりtp,vo, 石田 衛p, +1 横山和明ds》


みなさまのご来場を心からお待ちしています。

フレーズを身につけるという事。

 

東京で音楽活動を始めたのは、西暦2000年の頃だったと思います。自慢になるけど、ほんの半年も経たないうちに月に20本以上のライブでスケジュールが埋まるようになりました。その当時、「トランスクライブ(コピーのこと)とか、いっぱいしたでしょ。」と、よく言われました。自分ではその自覚がなかったので、「いや、そんなにやってないんですよ」と、答えていました。最近、山のように溜まった譜面(演奏に使う譜面ではなくて、スケッチ的なもの)を減らそうとして、1枚、1枚チェックしているんですけど、実は結構トランスクライブやってたんだなぁ、と気づきました。なぜ、その自覚がなかったのか? 考えてみると理由は二つ。トランスクライブより、自分でソロのラインを考えて、それを弾く練習をトランスクライブよりたくさんやってた事。もう一つはフレージングを身につけるよりベース奏者としての技術向上の為の練習に遥かに多くの時間を費やしてきた事、が挙げられます。そのために、トランスクライブをたくさんやったという自覚がなかったんですね、たぶん。ベース奏者に関しては圧倒的にPaul Chambersのトランスクリプションが多くて、全体の8割くらい。その他は、Ray Brown, Sam Jones, Percy Heathのがありました。(以下、トランスクライブはコピーと記述します。長いから^^) それに加えて、管楽器奏者、ピアニスト、ギタリストのコピー譜がたくさん出てきました。それらは、譜面にしてあっても、ベースで弾けない部分が多く、弾く練習をしていないので、あまり記憶に残ってなかったんだと思います。でも、自分がいま弾いているフレーズの中に、「これ、どこから出てきたんだろう?」というフレーズが沢山あって、実はそういうところから来ているフレーズだったということにも気づきました。そんな感じで譜面を読みながら一人で納得しています。あと、Jazzの演奏を始めた頃に頻繁に共演させてもらっていた軽音の先輩や、プロ・ミュージシャンの先輩のフレーズなんかを、結構いまだに使っていることも多いということに気付いたということも、10年程前にありました。

若い頃の話をすると、25歳で渡米する直前くらいにPaul Chambersのコピーをたくさんやって、渡米してからそれを弾く練習をたくさんやりました。今だったら、音大ジャズ科の学生がすることを、約5年遅れでやっと着手したんですね。とはいえ、まだ若かったですから練習の成果はすぐに表れ、シンプルな曲では、練習したフレーズが泉のように湧き出てくる感覚がありました。反対に湧き出てくる限り弾き続けてしまうので、大事なところで破綻したり、常に弾きすぎ、スペースなさすぎ、だったことは記憶にあります。

さて、では53歳のいま、同じようなプロセスでコピー〜練習すれば、同じような結果が現れるでしょうか? 残念ながら、答えはNoです。3〜4年前に、大学のレッスンで必要になり、改めてChambersが弾くOleoのベースラインをコピーしてみました。とても新鮮でした。よく考えると、彼のプレイはベースソロばかりコピーしていて、ベースラインは先程の3人、Ray Brown, Sam Jones, Percy Heathのコピーばかりだったんです。「これは、絶対身につけるべきだ!」と思い、1ヶ月ほど毎日、そのベースラインを弾く練習をしました。当然譜面なしで弾けるようになりましたが、それが全くステージの上で出てこないんです。ひとかけらもです。さすがに落ち込みました。無理やりねじ込もうと思えば出来るのでしょうけど、そういう家での練習の延長戦みたいなことはステージではやらないと心に決めているので、自然な流れで出てくるのを待つんですけど、まぁ、全く出てこないんです。なぜ出てこないのか。家で一人で弾いてる時は、譜面を見ずに何コーラス分も、スラスラ出てくるんですが、他人と合わせると出てこない。感の良い方なら、もうお分かりかと思うんですが、ベースラインというのは、ソリストのハーモニー感覚に影響されながら決まっていきます。長く演奏家人生を送っていると、例えばこういうハーモニーが聴こえてきたら、こういうベースライン。という風に無意識にシステムが出来上がっているので、今まで弾き続けてきたベースライン以外のものが頭の中で鳴らないんです。それに気付いてから、ベースラインをコピーするのはやめました。ソロに関しては、自分が主導権を握っているので、同じような練習をすればベースラインよりは出てくるかもしれませんが、それにしても横の流れがありますので(あるハーモニーに対して、このフレーズというのが縦の構造。いま弾き終えたフレーズに繋がるフレーズを弾いていくという感覚が横のつながり)やはり難しいでしょう。ただ単に歳を取ったから物事が身に付かなくなったという事ではないと思います。

そろそろまとめに入りましょうか。若い演奏家のみなさん。コピーフレーズを身につけるという作業は、バッキングにしてもソロにしても、自分なりのシステムがある程度仕上がる前に、できるだけ沢山やっておくのがいいんじゃないでしょうか? 個人差があると思いますので、僕が経験したことが皆さんに当てはまるかどうかは分かりませんが、譜面の整理をしながら考えていたことを、お裾分けをしてみたくなったので、お話ししてみました。

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第一回目の記事が、音楽と無関係だなんて。

昨夜遅く、中野江古田(えごた)病院での集団感染が報じられました。今朝、練馬区江古田(えこだ)のジャズの名店の店主が、「近くはないけれど、近隣在住の皆様が利用している可能性もあるので、STAY HOME!」というメッセージを投げられました。僕はそれに対して、中野区江古田(えごた)という地名と、練馬区には江古田という地名はないがの、江古田(えこだ)という駅があり、地理的に隣接してはいるけど、間に新目白通りという幹線道路を挟んでいるし、中野江古田病院で集団感染、イコール、練馬区江古田駅周辺コロナ直撃!というイメージを持たないで欲しい。というメッセージを書き込みました。

そして今日、総合東京病院で5人感染のニュース。総合東京病院って言うとわかりにくいけど、中野江古田病院より、さらに練馬区江古田駅に近い、かなり巨大な病院です。江古田からは徒歩20分くらいかかります。でも、中野区江古田病院の時より遥かに大きな衝撃を受けました。なぜなら、総合東京病院は大病院なので、マイクロバスを使って、毎朝僕の住むエリアまでやってきて、総合東京病院まで通えないお年寄りの患者さんの送迎をしているからです。つまり我が家の近隣には総合東京病院に通う患者さんが、たくさん住んでいらっしゃる事に間違い無いからです。特に小竹町界隈で、そのマイクロバスをよく見かけます。武蔵野音大周辺のから小竹向原駅方面ですね。そのエリアにお住まいの方、本当に今まで以上に気をつけましょう。

今日のそのニュースは、ぼくがいつも演奏の仕事をしに行っていた、某外資系ラグジュアリーホテルの従業員に感染者がでて、ホテルそのものが休業に追いやられた事件以来の衝撃で、自分の居住エリアを冒される話で、本当にだんだん恐怖感が増してきました。緊急事態宣言以降も小池知事が「散歩、ジョギング、OK!」と仰ったのを免罪符に、毎朝1時間ほど散歩してましたが、さて、明日の朝からどうするか、、、いや、散歩を止めることは無いと思うけど、今まで以上に人の少ないエリアを選んで、もし、人と会ったら、距離を置いて歩こうと思います。

国政に自体収拾の力がないことはすでに明白だし、都民一人一人の自助努力以外に頼れる力はないと僕は思います。今は、みんなで頑張るしかないです。どれだけこれ迄の普段の生活習慣を忘れて、新しい生活習慣を短時間で身につけられるかどうかが生命線になるのではないでしょうか。そう言う自分も、まだまだ伝染病予防に必要な生活習慣が身についているとは言い難いです。でも、これから、それに真剣に取り組める人がどれだけいるかが、収束に向かう曲線のカーブを決めるのだと思います。

「つまらない世の中になってしまったから、自分なりの楽しみを見つけて生きて行こう」それくらいに考えていた時期が僕にもありました。でも、「もうそれでは足らない」と、根拠のない直感ですが、確かに感じられるようになりました。

みなさん、「生きて、また会いましょう!」

Blog再開のご挨拶

皆さん、こんにちは。
ベース・プレイヤー、作編曲家、増原 巖です。
2019年〜2020年初めにかけて、websiteのサーバー消滅、blogのサーバー消滅と、広報活動やプライベート公開の手段を無くし、途方に暮れておりましたが、まずはBlogから再スタートしたいと思います。
まだ記事はありませんが、ブックマークしてくださると嬉しいです。
まずはご挨拶から。
「皆さま、今後ともよろしくお願いいたします!」